「赤ちゃんが産まれる前に夫婦二人でゆっくり旅行したい」「旅行してリラックスした時間を過ごしたい」など、多くの意見を聞きます。
インターネットには、「マタニティ・妊婦さん向けの旅行プラン」など、マタニティ旅行(マタ旅)と言われるようにもなっており、妊婦さんにとって旅行が身近なものになっているようにも見受けられます。
結論から言えば、日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医・日本周産期新生児医学会専門医(母体・胎児)としてマタ旅はお勧めしません!
もちろん、禁止するガイドラインなどは日本にはございませんし、旅行をしたいお気持ちは十分わかります。
以下の内容を見ていただいて、大人な判断を妊婦さんそれぞれで考えていただければと思います。
1)旅先で陣痛・破水・お母さんの体調異常が生じたら?
旅先で陣痛・破水・その他、母体に異常が生じた場合、かかりつけの医療施設に短時間で行くことができるならば電話して相談しましょう。
緊急度が高ければ救急車、状態が落ち着いていれば自家用車やタクシーなどを利用してもよいです。
しかし県を越えるレベル(例えば、千葉県と神奈川県、東京都内でも自動車でも片道数時間を越える距離など)で医療施設と離れていると、お母さんが急激に体調変化したり、お産に間に合わない可能性が高くなります。
そのことから、長距離の場合は救急車がかかりつけ医の施設まで搬送してくれません。
2)お産を予定している施設から遠方(例えば、東京で分娩を予定していて、北海道や沖縄)に旅行をしている最中に、破水や具合が悪くなったらどうなるか?
妊娠中期(妊娠16週~27週)の妊婦さんが家族で旅行したとしましょう。
その旅行中に破水した場合、その旅行先にある総合または地域周産期センターで入院になるでしょう。
もちろん、入院をせねばならない状況の妊婦さんで、長距離移動になる救急搬送は安全性の観点から誰も対応してくれませんので、体調が落ち着くまで長期入院となります。
破水をしていたら、妊娠の延長ができていたとしても早産となる可能性は高くなります。
親戚もいない、縁もゆかりもない土地や海外で、分娩をすることになるかもしれません。
また妊娠中期で出産した場合、赤ちゃんはNICU(新生児集中治療室)に入院となります。
そして少なく見積もっても十月十日(とつきとおか)となる妊娠40週前後まで赤ちゃんは入院をして、先に退院をしたお母さんは近くにマンスリーマンションなどを借りるなどして、赤ちゃんに母乳をあげに行ったりすることになるかと思います。
もちろん未熟な赤ちゃんを飛行機に乗せたり、長距離を搬送することは大人の救急搬送よりもハイリスクであり、大変危険です。
あくまでも想定される一例であるので、全てがこのようになるとは言い切れませんが、どの妊婦さんにも起こりうることであることは頭の片隅に入れていただければと思います。
3)旅行の移動中に陣痛・破水・お母さんの体調が悪くなったら?
飛行機での移動は目的の場所によっては新幹線や自動車での移動よりも短時間で済む可能性があります。
しかし、妊婦さんに何か問題が生じた場合、飛行機内の限られた人員の中に対応できる医療従事者が相乗りしているとは限りませんし、仮に産婦人科医が同乗していたとしても、問題の生じた妊婦さんに対応する医療機材が機内にはありませんから、飛行ルートの変更(引き返し、目的地変更など)を余儀なくされるかもしれません。
また、ほとんどの航空会社は妊娠37週以降の飛行機の搭乗に制限があります。
参考
4)自家用車での旅行が飛行機や新幹線を利用した旅行よりも安全なのでしょうか?
例えばアメリカやイギリスのガイドでは、片道4時間を越える長距離移動の場合、エコノミークラス症候群(下肢静脈血栓症)の危険性が高まるとされています。
妊娠そのものが血栓症のリスクであることから、体を動かしにくい状況はエコノミークラス症候群を助長する可能性が高まります。
飛行機に限らず、新幹線や自動車でも体が自由に動かせない状況はエコノミークラス症候群となるリスクを回避することはできません。
加えて、飛行機での移動中、わずかではありますが放射線を浴びることになります。
他のトピックでもお話ししますが、妊娠中の"安定期"は存在しません。
安定期という医学用語も一切存在しませんので、安定期だから旅行をしても大丈夫ということは残念ながらありません。
そして陣痛・破水がいつ起こるのかを事前に予測することはできませんので、長距離移動がどれほど危険であるかは理解していただけるかと思います。
参考
- Travel During Pregnancy, ACOG website
- Air travel and pregnancy patient information leaflet, RCOG website
5)海外旅行保険と医療費の落とし穴
妊婦さんが海外旅行を計画する際には、海外旅行保険への加入をしていたとしても、 妊娠・出産・流産・早産・つわりなど、妊娠に関連するトラブルは多くの保険で補償の対象外となっています。
そのため、たとえ保険に加入していても、現地で妊娠関連の症状により受診・入院した場合には、多額の医療費を自己負担しなければならない可能性があります。
また、一般の疾病であっても、日本の健康保険による「海外療養費制度」は、日本の診療報酬点数で再計算された額の7割しか払い戻されない仕組みのため、現地での実際の医療費との差が非常に大きくなることがあります。
さらに、クレジットカード付帯の保険は「利用付帯」(旅行代金をそのカードで支払った場合のみ有効)であることが多く、補償範囲や上限額が不十分なケースも少なくありません。
妊婦さんが海外旅行を計画される際には、これらのリスクを十分に理解したうえで、妊娠中でも補償対象となる保険の有無を確認し、万一の事態に対応できるかどうかを慎重に検討することが大切です。
その上で、「それでも行くのか」「今回は見送るのか」——ご自身と赤ちゃんの安全を最優先に、冷静に判断してください。
文責:豊洲レディースクリニック院長 土肥 聡
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最終更新日:2025/10/15








